TOPページへ

日記帳(2004.09)

日記Indexへ


2004/9/24(金)

ついに娘が寝返りを、
・・・・で、どこまで転がったら寝返り完了なの?(´Д`)

とりあえず仰向けの状態から90度横を向いた、で次は上になった足を前に着いて下半身は腹這いに。
ただし顔は横になったまま。
上半身を完全にうつ伏せにする→顔を上げるため重い頭を持ち上げるには結構なハードルがあると思われ、そこまでしないと完了で無いのなら寝返りはまだやし・・・

首が座る(据わる、なのか?)という表現もそうだけど、短時間であれば生まれた直後から自力で頭持ち上げていたし、うつ伏せの状態から頭上げてろと言われたら大人だって長時間は持たないし、そんなの主観じゃんか。
いつから?とか言うならしきい値をはっきりしてもらいてぇなぁ。

しかし中途半端な寝返りの状態でウンウン唸ってる娘は、その先へ行きたいのか戻りたいのかよくわかんない。
どう助けたもんかね・・・


2004/9/19()

昨日の続き。
泊まったのが国分寺なのでルート的には中央線で帰るのが正解。
けどまぁ今日も会ってから帰りましょうよということで迎えに行って稲城経由にしてもらいました。

そして迎えの足で大渋滞。
ぐぉぉ。

意外と言うかそうでもないか、うちの両親は子供の扱いには長けていて娘もすぐに打ち解けた模様。
昨日はそれでも緊張してたけどな。

次に会うのは年末か、年度末か。
どっちも俺の仕事がデスってる気がするな(´Д`)


2004/9/18(土)

実家から両親が遊びに来ました。
嫁さんのご両親はよく来てくれるんですが、うちの両親はさすがに距離があるのでなかなか機会が無かったんですね。
けどまだ病院にいた頃に一度会っただけなので、孫を見においでよと。

距離があると言っても、弟のうち(長崎)に比べたらもうちょちょいのちょいですな。午前悠々と出発して昼過ぎ着。
娘とたっぷり遊びました。

今後、娘の前ではうちのおとんおかんを「じーじ」「ばーば」と呼ばなあかんのか(´Д`;)

嫁さんは狭い狭いと言う我が家ですが俺に言わせりゃ充分広い。けどそれでもいい大人を二人は泊められんので事前に宿を探したわけですがこれが皆無。

うちの近辺は有名企業があるわけでもなし、観光地があるわけでもなし、多少企業はあっても、朝東京を出れば普通に着く立地が災いして宿泊施設など無いも同然。

わずかに点在するホテルも、ちょうど3連休とあってかツインルームは完売御礼でした。
結局国分寺のビジネスホテルを確保して車で送っていくことにしていたんですが・・・いつの間にか俺の中で「国分寺」が「国立」にすりかわっており、危なく国立駅へ降ろして去るところでした。

予め国分寺までのルートも調べていたし、嫁さんの話でも俺はずっと「国分寺」と言っていたらしいんですがなぜか無意識に・・・
奴らの仕業ですかモルダー(((゚Д゚)))

くそっ!だいたい国分寺と立川の間やから国立、なんて安直な名前つけよるけん紛らわしんじゃ!
よそもんをハメるためにわざとやっとるに違いない。

「国立って焼肉屋のあったあこやよね」とボソっと発言したのを嫁さんが聞き漏らさなかったのが不幸中の幸いでした。



2004/09/13(月)

似非理系の教育

最近の傾向なのか、TVのクイズ番組で「発想の転換」だとかなんとか、そういった点を強調して、知識ではなくて知恵(※)を問うものが複数出てきています。

※・・・関係無いけどRPGの元祖D&Dでもキャラクタの能力パラメータには Intelligent と wisdom が別々に定義されています。
曰く、「天から水が降ってきたとき、知識(Intelligent)はそれが雨であることを教え、知恵(wisdom)はそれに浴びていると風邪をひいてしまうと教える」と。
どうも知恵と知識の英単語の解釈が俺の感覚と食い違いますが。
神官と魔法使いの特徴別けとして良くできた解釈だったと思うのですがその後のRPGルールに継承されることは無く、単なる「頭のよさ」というパラメータに収束していきました。

それはそれで良いことだと思います。
旧来のクイズ番組は所詮雑学に過ぎず、飲み会で場をつなぐくらいにしか役に立たない、それに比べれば与えられた問題を如何にして解決するかというソリューションを求める出題の方が役に立つでしょう。
実際のところ、人の日常というのはその繰り返しですから。

しかし、そういった番組を見ていると結局に失望に変わります。
クイズ番組としての構造上の問題でしょうか、一対一対応を大前提としているために今までのものとあまり変わりが無い。
というかただの「いじわるクイズ」になってるだけじゃないかと。

ソリューションというのは基本的に一対多対応であって、上策から下策まで無数に解が存在することがほとんど。
言ってしまえば画一的な正解など存在しない方が多いんです。

たとえば、引用していいのかどうかわからないけど

「電気のスイッチを切って、暗くなる前に布団に入るにはどうするか」

という設問。
いじわるクイズとしては確かに「昼間明るいうちに布団に入る」が正解かもしれません。
面白いから。

しかし

そんな回答が一体なんの役に立つでしょうか??
他の回答者は「遅延スイッチを導入する」だとか「長い棒でスイッチを押す」だとか答えて不正解を喰らっていましたが、少なくとも出題者より彼らの方が数倍まともです。
(スイッチを切って暗くなる)前に(布団に入る)のか
(スイッチを切って)から(暗くなる)前に(布団に入る)のかも明確でないためそこに解釈の余地がありますし。
(後者と解釈すれば「長い棒」案は却下されますが)

理系人間が考えるのならば「明記されていない制限は無い」んですが、どうも出題者、回答者ともに勝手な制限を脳内で加えている模様。
この辺りの常識 (=経験による勝手な思い込み) が解釈に影響するかどうかがAIとの根本的な違い(※)なんでしょうな。

※・・・フレーム問題というヤツです。
よく「思考の枠をはずせ」と主張する人がいますが、枠を完全に外したらまず間違いなく解決に至りません。
無限の選択肢を無限回 選択して前に進むことはできないから。
自明の理でしょ?

似たようなので、ナイフを3回使ってケーキを8等分しろ、というのもありました。
正解は上から見て十字に切って(4等分)、その後水平に2等分する、というもの。
使い古されたクイズですね。
ここで、ある回答者が曲線に刃を入れてなにやらわけのわからない切り分け方をして「失格」の烙印を押されました。

が、8等分という命題には形状の合同や相似といった条件は明記されていない。では容積か?投影面積か?
容積と解釈するならばこの回答の結果を積分してみないとわからないはず。
何を以って却下なんでしょうか??
見た目同じではない、という「常識的判断」でしょうか。
でもそれを言ったら正解とされた8等分は何が8等分なんでしょうか。
実はこれ、容積の等分も形状の合同も満たしていないんですよ。冷静に考えてみると。
「常識的判断」で言うなら、ケーキを水平面で切ったら上層と下層は形状が異なる、つまり上からの投影面積の8等分しか満たしていないんですね。

ちなみに俺の回答は上から見て半分に切って、両者を縦に積み重ねてまた半分に切って、を3回繰り返せば2の3乗で8等分になる、でした。
形状は合同、等容積、これが正解じゃないの?
重ねたら崩れるけどさ:-)

本当は抽象化しようとしてできていない、のが問題なんですけどね。。。

出題者が用意してるであろうたった一つの模範解答を想像するのでは、学校のテストではいい点を採れても実社会では全く役に(※)立ちません。
問題解決能力になっていないからです。

※・・・解決すべき問題が「出題者に気に入られること」であればこれが結構重要だったりするんですが。
いやになるほど。
会社では「望ましい答え」が最初から決まっていてそれに合致する結果をたとえ捏造してでも出さなきゃならんことが 多々 たまにあります。
悲しいことですが。

経験による思い込み、それを悪と断ずるような書き方をしてきたけれど、実際そんなことはなく、必要なのは経験とそれに基く予測。そしてその実証/反証です。

これは数学の問題集なんかでも未だによくある話で、数列の一部を示して「次はどうなるか」を問うもの。ありますね。
ところが予測の検証と、それが外れた場合の修正という手順がスポーンと抜け落ちているんです。

解法の順序として、まず示された数列の法則を発見し、一般化し、その一般則に当てはめて次の値を予測する。それは正しい。
しかしここで得られた法則は、あくまでもこの示された範囲内で通用する法則に過ぎず、範囲外ではあくまでも予測値にすぎません。
帰納法で求めた法則を演繹する場合、必ず予測値の確認、そして予測値と実測値が違えば新しい実測値までを含めて再度法則を見出す必要があります。

また同時に、範囲内で見出した法則といっても、それは示された範囲内で通用する法則「の内の一つ」でしかありません。
他に法則が無い保証は無いんです。

たとえば以下の例だと左右は何が入りますか?

   

あまりに短くて恐縮ですが、(一般的に短ければ短いほどたくさんの法則が成り立つでしょうし)パッと見で階差2の等差級数の、まぁ端的に言って奇数だなと思えば


と回答するでしょう。

しかし俺が見せた答えは

11

でした。

なんだそりゃ!と怒ってはいけません。
最初に見えていた範囲で見出した法則、の内の一つ「奇数の列」から演繹して弾き出した予測値と実際の値が違っていた、ならば、実測値も加えて法則を見直すしかありません。

この場合、おそらく素数ですね。

「奇数だって間違いじゃないだろう」ですか?
まったくもってその通りです。最初の3項を見せられた段階ではどちらも正しい。どちらも「示された範囲内で通用する法則のうち一つ」であるからです。

この場合、必要なのは示された範囲内で通用する法則を演繹してその外を予測すること、そして外れればその修正の繰返しによる一般則の追求です。
より広範囲で使える一般則とその有効範囲が判って初めて役に立つ技術になる。

示された範囲内で一応成り立つ法則「の内の一つ」を、それも予め用意された設問ごとき、
言い方を変えるのなら、「法則から逆算された数列」から模範解答を抽出してハイお終いの教育にいったい何の価値があろうかと。

安易な推理小説も同じ、トリックの種明かしを売りにするエンターテイメントも画一的なクイズ番組も、そして一対一対応のテンプレートに埋もれた教育も。
こういったクッキーの型枠に打ち抜かれた同じ顔のインスタンスどもは、誰かが用意した世界にたった一つの、そして誰にとっても共通の「正解」が存在すると錯覚するんです。
推理小説の探偵役なんてのは既に起こった事実を突き止めることを目的とするため「真実は一つ」で構いません。
タイムマシンでもない以上、突き止められるのは「真実である可能性の一つ」にしかすぎませんが少なくとも過去に起こった事象ならばその方針はまだ良し。
しかしこの先の問題解決が目的ならば一つの正解にこだわることはマイナスです。
解は一つとは限らない。複数あるかもしれないし一つもないかもしれないんです。

さっきの例、もっとむっちゃくちゃな例を出すと、

407531380253
468096244613
528661108973
589225973333
649790837693
710355702053
770920566413
831485430773
892050295133
952615159493
1013180023853
1073744888213
1134309752573
1194874616933
1255439481293
1316004345653
1376569210013
1437134074373
1497698938733

これ、前の例と同じです。
法則を見出そうとすれば、階差 60564864360 の等差数列です。同時に素数列でもあります。
昔の ヒマな人 偉い人が発見しました。
(ちなみに素数の一般項は未だ発見されていません)

昔の日経サイエンスか何かにフィボナッチ数列に見せかけて違うよ、というすごい一般項(平方根とかぐっちゃぐちゃに入ってた気がする)の例が載ってましたが忘れました。
アレを出したかったんですが。

言いたい事は、限られた範囲内から帰納法で導き出した「井の中の法則」は大海には通用しないかもしれないってことです。
それを以って正解も不正解も無いし、通用しなかったらしなかったで大海の法則を見つければいい。それも大宇宙には通用しないかもしれませんがね。


・・・などと締めようとしたらいや〜な記事を発見しました。
問題解決能力は女の子とのコミュニケーションの妨げになる・・・・・?

・・・・('A`)



2004/9/2(木)

離乳食の開始時期についてのメモ。
畑違いなので主に伝聞だが、「らしい」、「とのこと」、「だそうだ」で書いたら非常にうざったい文面になったので基本的に一人称とする。

・元々離乳食など存在しない。
自然に考えれば当たり前で、たとえ人間がその発祥直後に始めたとしてもそういった文化的な行動は肉体の構造に還元されないため、体の方は依然として離乳食には対応しない。


・母乳前提で設計されている。
乳児は自家製の免疫系を持たない。胎内で胎盤を通して母親からもらった抗体、そして母乳によって供給される抗体(※)によって成立しており、前者は生後約6ヶ月頃で消失する。とともに、自家製の免疫系を構築し始める。
生後半年は比較的丈夫で、その後急に風邪を引いたりするのはこのスポット期間の為である。

※・・・添加物が許容された現在の人工乳は栄養のバランスで言えば母乳よりも完璧かもしれないが免疫物質だけは生成できない。

この約6ヶ月という期間は最低限母乳の供給を前提としており、母乳中の免疫細胞の摂取を許容する為に(※)本来タンパク/ペプチドを通さないフィルタの役を成す腸壁がほぼスルーで異種タンパクを通してしまう。
腸の閉鎖は14ヶ月以降に始まり、内蔵の形成という観点では2歳になっても完成とはいえない。

※・・・「ために」 という表現は少々御幣を産むかもしれない。
ダーウィニズム的に言えば、漸進的な突然変異によりそのような性質を持った結果生き残る確率が他より高くなっただけである。


・さらに大前提として、異種タンパクは敵である。
分解されてアミノ酸になってしまえば抗原性は無いが、分解されずにタンパクのまま、あるいは分解途中のペプチドのまま吸収されたり、直接血液に注入すれば抗原抗体反応を生ずる。
要するに「敵の侵入」と見なして撃退(消化)すると共に、学習してその型をDBに登録するわけで、登録済みの型が再度侵入すれば対応する抗体がこれと戦う。
戦いがワンサイドで勝利すれば見た目何も起こらないが、反応が大きければアレルギー/アナフィラキシーに至る。
前項の腸がザルの状態の乳児にタンパクを含む果汁、分解されていないミルク、その他タンパクを経口摂取させれば腸壁を通過し、必然として抗体が作られてしまい、後々アレルギーとなる危険性が高い。
抗原抗体反応は正常な 「敵を排除するシステム」 なのだから、その後異物が進入した時に一方的に殲滅に成功すれば表面上は何も起こらない。
つまり健康な時は気づかずに、体力が落ちて抗原対抗体の戦いが激化したとたんにアレルギーやアナフィラキシーを引き起こす可能性は、ある。


・早く離乳食を、早く果汁を、の理由
江戸時代までは歯が生えてから離乳食に移行していた模様。
明治以降、欧米の影響を受けるようになり、特に戦後、日本人の食生活改善を名目に早期のカロリー摂取が必要とされ、また人工乳優位の考えからこれとセットで早期の離乳が必要とされた。
当時の人工乳はビタミンC/鉄分が不足 (というか添加が認められていなかったらしい:未調査) していたため、これを補う為に 「果汁を与えましょう」 とされた。
また牛乳を原料とする以上は異種タンパク摂取となるためできるだけこれを早く切り上げるための離乳食だったそうだ。
最近は 「他の味に慣らす為に果汁を」 とされていることが多いが、これも根拠がわからない。
人工乳であれば完璧に毎回同じ味 (お湯割だから濃淡はあろうが) だから味の変化をつけるというのはわからなくもないが、 母乳は母親の摂取した食事により、また授乳の最初と最後ですら味が変わるといい、少なくとも母乳育児に関しては 「味に慣らすために果汁を」 の根拠にはならない。
おそらく、前述のビタミンCの供給が必要だった時期に書かれた指導書に従う為に後付けで理由を乗せたものと推測する。
また人工乳→離乳食と遷移する場合でも、結局 離乳食が薄味であり、間に糖度の高い果汁を挟む意味は無いという指摘もなされている。

海外では、米国小児科学会(AAP)が1997年に
「母乳栄養児には6ヶ月の間は水、果汁、その他の飲食物は必要無い(unnecessary)」
との勧告(※)を出しており、これが2001年には
「6ヶ月未満には果汁を与えない方が良い(should not)」
に変わっている。

※・・・時期も時期だけにソースが見つからないがこれを引用した発行物のpdfがこのへんから入手できる。
2ちゃんねらはweb上にソースがないと不安なんです。
あ、やっべpdfファイル直リンしちゃった。
まぁいいか。
ちなみにこのペーパーでは「水道水中のフッ素が0.3ppmに満たない場合は6ヶ月〜3歳までの間にフッ素加工しろ」と言ってたりするが・・・('A`)



・幼児は人間ではない。
「個体発生は系統発生を繰り返す」とはヘッケルの弁。
人間は母親の胎内で初期の魚→初期の爬虫類→初期の哺乳類→と徐々に形状(※)を変え、人類の進化の過程を通って生まれてくる。

※・・・進化の系譜を表すツリーで言うと木の根元から各枝の根元をたどって人間まで最短ルートで至る。
それぞれ人間とは別の枝の先端である 「最終型の魚」 などを通るわけではない。
進化論は 「祖先を共にする」 と言っているわけで 「人間は猿から進化した」 などとは一言も言ってないしそんなことは否定しているので注意。

十月十日の後、やっとのことで人間になって生れ落ちる、かと思いきや、生まれた段階ではまだ全然人間として出来上がっていない。
それは前述の内臓も然り。また食道と気管が交わっているのが人類だけの特徴(※)だが、赤ん坊は気管と食道が独立しており、母乳を飲みながら呼吸ができる。その点、人間以外の哺乳類と同じ。

※・・・音声/会話というアドバンテージ、そして誤嚥というディスアドバンテージの要因。
呼吸の為の「鼻→気管→肺」、食物嚥下のための「口→食道→胃」であって口で呼吸する構造などというのは言ってみれば奇形。
余りにも当たり前にまかり通ってしまっているが口は呼吸の為の機関ではないので、鼻腔のような菌フィルタ機構も備えていないし、呼吸によって乾いてもいけない。

これを前提とすれば西原博士の言う 「幼児はまだ人間ではない」 はとても納得の行く弁に思える。
聞き方を誤ると、とんでもない暴言に思えるが(笑)。




・大人の腸。
実は、腸壁をタンパク/大きなペプチドが抜けてしまう危険というのは内蔵の完成した大人でもある。
腸では巨大な分子であるたんぱく質を酵素の働きで→ペプチド→アミノ酸に分解し、充分に小さな分子量となって初めて抗原性が無くなり安全に吸収される。
ここで、何がしかの要因で分解能力が落ちるか、過大なタンパクが投入されることによって相対的に分解能力が飽和すれば抗原性を持ったまま腸壁を貫通してしまう。

前者は純粋に病気で体力が落ちる、腸壁が傷つく、腸が冷えるなど、後者は要するに過食。

腸が冷える、というのは、たんぱく質の分解作用は前述のとおり酵素のはたらきによるものであり、つまりは化学反応なわけだ。酵素は平常時の体温で最もよくはたらく。
ビールのがぶ飲みなどで冷たい飲食物が一度に流入することによって体温が(腸の温度が)下がり、酵素のはたらきが低下し相対的に飽和状態となる。

蒸し暑いという地域事情はあろうが日本人は殊更冷たい飲み物を一気に飲む (口の中に溜めずにストレートに流す) ことを好むようだ。
日本ではキンキンに冷やすビールも、本場ドイツでは16度以下には冷やさないという。 ビールの味わいがなくなってしまうのだそうだ。
しかしドイツビール直系のブラジルではやはりキンキンに冷やす。気候だろうか。

アイスコーヒーの日本発祥説については喧々諤々だが、どこで最初に発生したかはともかくとして一番最初にあったものを参考にせずに (知らずに) 別の場所で発生することは有り得るし、何もおかしいことはない。
これは個人的な意見だが、アイスコーヒーは本来の味も香りも損なわれていてただの苦い汁(※)にしか感じない。俺は夏でもホットで飲む。
自販機が全てコールドになるのがつらいところだ。

※・・・正直、コーヒーの味とかうるさい方ではないのでどれもこれも苦い汁じゃないかということはこの際無視して。
またアイスコーヒーは (日本では) 氷を浮かべる為、薄まることを前提に濃くしておくということもこの際無視して。

味という点で言えば、味蕾が最も敏感になるのはたしか体温かそれよりも少々高い温度で、冷やしたら鈍感になっていく。
つまり冷た〜い飲み物がそれなりに味わえるのなら、それはつまり本来はもっと味が濃いわけだ。

俺は飲めないのでビールの味にうるさい方々に聞いてみたいんだが、本当に味を感じているんだろうか。
直接喉に流してるじゃん。
単に食道を潤す+冷却しているだけにしか思えないんだが。エンジンオイルと同じ感じがする。

「清涼飲料」なんかはもっと端的に「味など問題ではない」という名称だね。

なにが気持ち良いか悪いか、という点は個々人で考えるとしてだね、体に悪いと判ってることをするのはやめよう。
もう大人なんだから。